2011年9月18日日曜日

エフタは帰ってきた。

賀茂教会のゲストスピーカーはいつも”超”豪華であることはよく知られていますが、今日は校務で群馬県へ行かれている野本先生に代わって、賀茂教会には同志社女子大学教授の中村信博先生が来て下さいました。

中村信博先生

本日の説教箇所は士師記11章34-36節の、エフタがアンモン人との戦いに勝利してミツパへ帰ってきたところです。

34:エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。
35:彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない。」
36:彼女は言った。「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。」
ここだけ読むとよく分からないかもしれませんが、この箇所の少し前でエフタは神に対し、「もしアンモン人に勝利して無事に帰ることができたら、自分の家の戸口から(最初に)迎えに出てきた者をあなたのものとして、焼き尽くす献げ物にします」と誓っています。

そうして、家に帰ってきたエフタを迎えに出てきたのが一人娘だったのです。
さらに、自分が神への「焼き尽くす献げ物」になることを知ったエフタの娘は、「おっしゃったとおりにしてください」と受け入れているのです。

説教題に「悲しみの絆」とあるように、中村先生は「絆」をキーワードとして士師記のこの箇所から、エフタ(父)と娘の深い絆と、その先にある、ひとり子イエスを十字架に掛けられた神(父)の愛について解き明かして下さいました。

ところで、説教の冒頭では、新しくできた女子大の中庭の名称が在学生を対象にした公募によって、ラテン語で「絆」を意味する「『Vinculum』の庭」と名付けられたことが紹介されましたのですが、こんな素敵な名前を思い付いた学生さんは凄いなぁ〜、と思わず感心してしまいました。


礼拝後、中村先生は昼食会まで残って下さいました。とても楽しいひと時でした。

昼食会の様子

今日はさらに嬉しいことに、i子さんが手作りのかぼちゃパウンドケーキをたくさん作ってきて下さいました。(かぼちゃは北海道産だそうです。)
パウンドケーキのトッピングにあるジャリッとしたお砂糖の部分が美味しかったです!(長崎のカステラの底に敷いてあるざらめのような感じです。)




i子さんお手製のかぼちゃのパウンドケーキ


手作り以上に美味しいものはないですね。(文責 木谷佳楠)


週報です。

2011年9月11日日曜日

説教動画:アベルの名前について

今日の礼拝出席は33人でした。青年会は6人です。
色んな方から「学生さんたちはまだ夏休み〜?」と聞かれましたが、恐らくまだ「夏休み〜」なのだと思います。
同志社大学は26日(月曜日)からまた秋学期の講義が始まります。

秋学期が始まれば、青年ももうちょっと来るかとは思いますが、残念ながらイギリスから来ていた留学生のジェイミーは帰国してしまいました。

私も現在(まだ)博士後期課程に在籍しつつ、目下論文を執筆中なのです。
以前賀茂教会でもお話をさせて頂いたのですが、アメリカ映画とキリスト教の関係についての論文を書いています。
今日の説教の冒頭で野本先生がエリア・カザンの映画『エデンの東』に触れられたのですが、ちょうど前の晩に1950年代のアメリカ映画についての項目を書いていて、この映画を見たので何だか嬉しかったです。
善と悪、子供と大人、の境界に立つ「カイン」として登場する主人公のジェームス・ディーンがいいですね。

今日の説教も主人公はカインでした。
聖書箇所は創世記4章1-16節のカインとアベルの物語です。
野本先生も説教で仰っていましたが、この聖書箇所を読む時はいつも「神さまはどうして不公平なの?」と私たちは思ってしまいますよね。
(私たちの世界でも、しばしば親は兄弟姉妹を公平に扱わないのですが・・・)

説教の中では、その「どうして?」に対する答えを模索するため、大きく分けて以下の2つの解釈が紹介されました。
(1). アベルは自分が最も大切だと思うものを神に捧げたから
(2). 神の愛はそもそも不平等であって、どうしてなのか人間には分からない

その中でも野本先生がアベルの名前に焦点を当てて語られているところが面白かったので、その動画を2分ほどご紹介させて頂きます。
(撮影は礼拝に来て下さっていた関谷直人先生です。)




この後も説教は面白いことが目白押しでした。もちろん、後学のために全部メモらせて頂きました。(文責 木谷佳楠)
週報です。お知らせがたくさん。

2011年9月4日日曜日

久しぶりの礼拝

皆さま、手帳を開けて11月の6日は「秋刀魚」とお書き下さい。
今年の秋の野外礼拝は6日に決まりました。

久しぶりの礼拝は盛りだくさんの内容でした。
皆さんがどう夏休みを過ごされていたのか聞くことができ、嬉しく思いました。
また、久しぶりに野本先生の説教を聞くことができ、心が満たされました。
個人的なことですが、今日の説教箇所は以前私も説教を作ったことがある「十人のおとめ」の例え話の所だったので、何だか自分の釈義(=聖書に書かれてあることの解き明かし)の答え合わせをしているみたいでドキドキしながら聞いていました。
先生の説教はフランス料理のフルコースみたいなのです。
40分近い説教の中で次々と出てくる重要なポイントが、それぞれに美味しい一品のように感じられるのです。
ちょっと集中力が途切れそうになる頃に、「油をきちんと準備していた五人も、準備していなかった五人も皆寝てしまったのに、13節でこの例え話を『だから、目を覚めしていなさい』という教訓で締めくくるのは例え話の内容と合っていないのではないでしょうか?」と問題を聴衆に投げかけたりするタイミングも見事だなぁ…と思いました。
そうして聴衆は「あ、ほんとだ。なんでなんで?」と思って再びグイッと説教に引き込まれるのです。 

「さぁ、どうしてでしょう?」

今日はお隣の葵教会から中高科の皆さんが作って下さったチャリティー・クッキー(?)を頂きました。
この夏は昨年に引き続き、西日本献身キャンプにスタッフとして参加させて頂いたのですが、葵教会に所属する青年二人もキャンパーとして参加されていました。なのでチャリティー・クッキーをまじまじと見ながら「このクッキーはあの子たちが焼いたのかな〜」と想像しつつ美味しく食べました(全部)。
西日本献身キャンプには賀茂教会から、青年会のSちゃんもスタッフとして今年からメンバーに加わって下さいました。感謝。
夏の日差しに光る高校生たちは眩しかったです。(文責 木谷佳楠)

美味しかったです。

今日の週報。

2011年9月3日土曜日

賀茂教会の秋学期が始まります!

皆さま、夏はどう過ごされていましたでしょうか。
賀茂教会では9月4日から礼拝が再開されます。

また下鴨で皆さまとお会いできることを楽しみにしております。


一つご報告。
先日熊本草葉町教会で行われた第6回西日本同信伝道会にて、野本先生が講演をされました。

十字架を背負って講演中の野本先生。かっこいい!

講演後、フロアからのコメントや質問に答える野本先生。ステキ!

会場には九州の教会で夏期伝道中の賀茂教会青年会のMちゃんや、熊本に実家があるTくんもいて、嬉しい再会を今度の日曜日より一足先に果たせました。(文責 木谷佳楠)

2011年7月10日日曜日

野本先生の説教動画

伝道師の木谷佳楠です。梅雨が明けましたね。
「おはようございます」の次には必ず「暑いですね〜」と続く季節になりました。
今日も本当に暑かったです。礼拝に来る途中に熱中症になって道ばたで倒れている方がいないかと、心配になるほどでした。

そういうことが起きてはいけませんので(?)、賀茂教会は7月31日から8月28日までの間、休会致します。会員の皆様は無理のない範囲でお近くの教会へ御出席下さい。
神学生の一人はこの期間、他の教会へ夏期伝道に行ってきます。実り多き研修となりますように、皆様お祈り下さい。

今日は司会担当だったので、前の方に座って野本先生の説教をデジカメで録画できました。
音があまりクリアではなかったので、野本先生がアップロードして下さった音声ファイルとデジカメの動画を合わせています。


動画は説教の最後の5分です。


今日の説教箇所はコリントの信徒への手紙二、4章16-18節です。
16:だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。
17:わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
18:わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。 
7月10日の週報です。※プライバシー保護のため、教会員の名前は記載していません。

2011年6月26日日曜日

大入り満員

今日は賀茂教会に同志社大学神学部大学院教授の関谷直人先生が説教に来て下さいました。礼拝には大学で先生の授業に出席されている学生さんたちもたくさん来られて、礼拝堂がいっぱいになりました。このところ礼拝出席者が増えたこともあって、教会では讃美歌を数冊買い足したのですが、今日はスリッパが全部無くなってしまいました。椅子の数もギリギリ。(このまま行くと、裸足で立ち見する人が出てくるかもしれません。笑。)いずれにしてもたくさんの人が礼拝に来て下さることは、本当に嬉しいことです。

関谷先生が賀茂教会でお話をして下さる時はいつもギター持参で讃美歌を1~2曲歌って下さるのですが、今日は讃美歌54年度版の第2編から157番を歌って下さいました。



最初の方はビデオが寄りすぎていたので、最後の4節だけです。すみません。

今後できれば、地方会員の方や様々な理由で礼拝に来られない人のために動画配信をしたいと思っています。今日はテスト録画をしてみたので、最初の冒頭部分をお見せしたいと思います。(実を言うと、普通の小さなデジカメを使っていたので、10分経った時点でカメラがスリープしてしまい、冒頭部分しか撮れていなかったのですけどね…。)

反響があったら今度はきちんと三脚を立てて、動画撮影用のカメラを持って行きます。

 

説教の内容はマタイによる福音書の7章7〜12節から、「求めなさい」ということがテーマでした。

先週の野本先生の説教ではグレゴリア聖歌の「クレド(=使徒信条)」が紹介されましたが、今週の関谷先生の説教では「苦難にある者たちの信条(A Creed For Those Who Have Suffered)」という詩が紹介されました。(本によっては「病者の祈り」として紹介されています。)

大きなことを成し遂げられるように
力を与えて欲しいと神に求めたのに
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より善きことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の存在が必要であることを学ぶために
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるように
命を授かった

求めたものは一つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞き入れられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべて叶えられた

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ!

・・・という、心に沁みる詩です。
6月26日の週報です。※プライバシー保護のため、教会員の名前は記載していません。

今日は21日に亡くなられた私たちの姉妹の遺影をお花の前に飾って礼拝を守りました。天国で再会できるとしても、ひと時のお別れはやはり寂しいものです。ご遺族の方々の上に神様の慰めがありますように、お祈りしています。

礼拝後、青年会ではいつものカフェ・ベルディに14人でお邪魔しました。そろそろ人数的に限界なので、青年会では礼拝が終わった後の集会場所を「求めて」います 
どなたかを通して聖霊が働かれて、集会場所が与えられないだろうか、と祈っている次第でございます。(文責 木谷佳楠)

2011年6月22日水曜日

悲しいお知らせ

長年賀茂教会を支えて下さった教会員さんが6月21日午後、心不全のために亡くなられました。
23日に前夜式、24日に告別式が行われました。
御霊の平安と、ご遺族の上に天来の慰めがありますようにお祈り致します。